『人民の権義を主張し正理を唱えて政府に迫り、その命を棄てて終わりをよくし、
世界中に対して恥ずることなかるべき者は、古来ただ一名の佐倉惣五郎あるのみ。』
上記の文章は、福沢諭吉「学問のすすめ」から抜粋した一文です。
突然ですが、この「佐倉惣五郎」を皆さんはご存知でしょうか?
今回は、明治の自由民権家たちが民権の先駆者と称え、福沢諭吉が大絶賛した
佐倉を代表する歴史上の人物「佐倉惣五郎」を紹介したいと思います。
佐倉市と成田市の間に宗吾霊堂という立派な霊堂があります。
約10万平方メートルの広さに、年間参詣者約250万人の人々が訪れるこの立派な
霊堂には、宗吾様と呼ばれ親しまれている「佐倉惣五郎」が祀られています。
境内に入るとお店が何軒か並んでいます。
写真は土産物屋「三好売店」のご主人竹村さん。創業80年の老舗です。
三毛猫のみーちゃんがお昼寝をしていました。
さて、惣五郎さんはどのような事をしたのかというと・・・
時は江戸。年貢米の取り立てが厳しく、村人の生活は大変苦しいものでした。
この状況を見るに忍びず、惣五郎さんは減税を佐倉藩に直訴しました。
しかし、一蹴されてしまいます。次に将軍家側用人久世大和守にもお願いしましたが
叶わず、ついに最後の手段、四代将軍徳川家綱に直訴しました。
ついに訴えは取り上げられたものの将軍への直訴は死罪。
子供4人とともに悲しい運命をたどりました。
境内に入ってすぐ右手に、惣五郎親子5人のお墓があります。 その後、幕府は免税を命じ、農民は救われました。 |
宗吾御一代記館
惣五郎さんの事績を人形で再現しています。
このお話は、歌舞伎でもよく取り上げられているので、歌舞伎役者の方が公演前に
お参りにくるそうです。
松本幸四郎さんも昨年の冬、舞台の成功祈願に参詣に来られました。
甚兵衛そば屋
宗吾霊堂の正面前にあるおそば屋さん。
将軍に直訴する前に妻子に会いにきた惣五郎さんを、藩の取締りの禁を破って
渡し舟で助けた甚兵衛さん。
その渡し舟を模した器に盛られてくるおそばが名物です。
さて、惣五郎さんの命日は9月3日。
毎年9月第一週の土日に行われる「御待夜祭-おたいやさい-」は、惣五郎さんが
亡くなった後、彼を慕う人々が命日の前の晩にお籠りしたのが始まりと言われて
います。
両日、護摩が3回焚かれ、大般若経が読まれます。境内では、歌や踊りが奉納され、
名物の露店が所狭しと並び、初秋の風物詩となっています。
紅葉が美しいこれからの季節、日本が誇る偉人「佐倉惣五郎」に思いを馳せながら
宗吾霊堂に参詣しにいらっしゃいませんか?
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